「オルフェウスの窓」ファンサイト「Die Blaetter」管理人ぼーだらのブログです。いろいろ語っております。ツッコミお願い致します!
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えー時すでに8月、こちらも1か月以上ほっぽいといたわけで…はい、管理人として申し訳もへったくれもありません
。つっか、最初「お祭りは8月まで」とか言ってなかったか自分…。
久しぶりの登場が、いきなりお詫びばかりで申し訳ありません
。
最近、新聞の新刊広告欄を眺めていて気が付いたのがこれ。
サマーセット・モームの「アシェンデン」が新訳で出たんですね。金原瑞人さんは、児童文学、アメリカ文学の翻訳家だと思っていたので少し意外。モームというのも、思い出したように間欠泉のように人気が出る作家で、日本では1950年代がピークだったらしいけれど、2000年前後にもちくま文庫から選集が出て、その後岩波文庫から「夫が多すぎる(戯曲)」とか上下巻の短編集とか出て、岩波現代文庫からも行方昭夫さんの「モームの謎」が出たりしているから、また評価が上がりかけてるのかも。管理人は「アシェンデン」は2008年に出た中島賢二ほか訳の岩波文庫文庫版を持っています。
なんでここで「アシェンデン」かといえば、これはモーム自身のスパイ経験談が基になった連作短編集なんですが、最後の3編が革命下1917年のロシアが舞台――つまりモーム本人が、シークレット・エージェントとして、オル窓時代のロシア・ペトログラードを体験しているんですね。
別作品にいわく「南海の島からアメリカに戻ってまもなく、ある使命を与えられてペトログラードに派遣された。(中略)仕事の内容は、ロシア臨時政府に敵対する政党に接触し、ロシアに対独戦争を継続させ、ドイツ・オーストリア同盟国側の支持するボルシェヴィキが権力を握るのを阻止する方策を見出す事であった。仕事が惨めな失敗に終わったことは読者もご存じであろう。もし6か月早く出かけていれば、結構成功していたかもしれないと私は考えているが、読者に信じてほしいという気持ちはない。」(岩波文庫版「サミング・アップ」)。ヲイヲイと言いたくなるようなお話ですが、当人は当時43歳、今なら男盛りでしょうがそこは100年前だから適宜差っ引くとして、職業作家だけあって当然インドア派、実は子供のころから吃音があって結構人見知りの引っ込み思案、ジェイムズ・ボンドを期待するだけ無駄無駄無駄――じゃあなんで、わざわざ志願して(したんである)スパイなんかやってたかといえば、アメリカ人の秘書(男性)と深い仲になってしまっう一方妻とはぎくしゃくしていて、ともかく人間関係から逃げ出したかったのと、「男性的」「愛国的」なポーズを世間で見せつけることで同性愛への批判を逸らせたかった(モーム夫人は社交界の名花と呼ばれた女性で、当然マスコミや文芸・批評家たちに人脈があった)のでは…というのが前出「モームの謎」での説。レオが(不慣れな)謀略に精を出し、ユリウスが不安の中で出産を待ち望んでいたすぐそばの通りで、人生崖っぷちの中年作家が悩んだり大言壮語したり、その後の小説のネタを拾い集めていたり…ドラマティックなようなそうでないような、そんな状況を想像すると、革命下ペトログラード(オル窓ではペテルスブルクですが)という街にリアルな陰影が感じられるような気がします。
勿論、「アシェンデン」をはじめとするモームの作品を、この時代のロシアについての証言と読むことも可能です。皮相なようでドラマへの強い憧れを秘めたモームの言葉から浮かぶペトログラード、またこちらでも紹介したいと思っています。

久しぶりの登場が、いきなりお詫びばかりで申し訳ありません

最近、新聞の新刊広告欄を眺めていて気が付いたのがこれ。
サマーセット・モームの「アシェンデン」が新訳で出たんですね。金原瑞人さんは、児童文学、アメリカ文学の翻訳家だと思っていたので少し意外。モームというのも、思い出したように間欠泉のように人気が出る作家で、日本では1950年代がピークだったらしいけれど、2000年前後にもちくま文庫から選集が出て、その後岩波文庫から「夫が多すぎる(戯曲)」とか上下巻の短編集とか出て、岩波現代文庫からも行方昭夫さんの「モームの謎」が出たりしているから、また評価が上がりかけてるのかも。管理人は「アシェンデン」は2008年に出た中島賢二ほか訳の岩波文庫文庫版を持っています。
なんでここで「アシェンデン」かといえば、これはモーム自身のスパイ経験談が基になった連作短編集なんですが、最後の3編が革命下1917年のロシアが舞台――つまりモーム本人が、シークレット・エージェントとして、オル窓時代のロシア・ペトログラードを体験しているんですね。
別作品にいわく「南海の島からアメリカに戻ってまもなく、ある使命を与えられてペトログラードに派遣された。(中略)仕事の内容は、ロシア臨時政府に敵対する政党に接触し、ロシアに対独戦争を継続させ、ドイツ・オーストリア同盟国側の支持するボルシェヴィキが権力を握るのを阻止する方策を見出す事であった。仕事が惨めな失敗に終わったことは読者もご存じであろう。もし6か月早く出かけていれば、結構成功していたかもしれないと私は考えているが、読者に信じてほしいという気持ちはない。」(岩波文庫版「サミング・アップ」)。ヲイヲイと言いたくなるようなお話ですが、当人は当時43歳、今なら男盛りでしょうがそこは100年前だから適宜差っ引くとして、職業作家だけあって当然インドア派、実は子供のころから吃音があって結構人見知りの引っ込み思案、ジェイムズ・ボンドを期待するだけ無駄無駄無駄――じゃあなんで、わざわざ志願して(したんである)スパイなんかやってたかといえば、アメリカ人の秘書(男性)と深い仲になってしまっう一方妻とはぎくしゃくしていて、ともかく人間関係から逃げ出したかったのと、「男性的」「愛国的」なポーズを世間で見せつけることで同性愛への批判を逸らせたかった(モーム夫人は社交界の名花と呼ばれた女性で、当然マスコミや文芸・批評家たちに人脈があった)のでは…というのが前出「モームの謎」での説。レオが(不慣れな)謀略に精を出し、ユリウスが不安の中で出産を待ち望んでいたすぐそばの通りで、人生崖っぷちの中年作家が悩んだり大言壮語したり、その後の小説のネタを拾い集めていたり…ドラマティックなようなそうでないような、そんな状況を想像すると、革命下ペトログラード(オル窓ではペテルスブルクですが)という街にリアルな陰影が感じられるような気がします。
勿論、「アシェンデン」をはじめとするモームの作品を、この時代のロシアについての証言と読むことも可能です。皮相なようでドラマへの強い憧れを秘めたモームの言葉から浮かぶペトログラード、またこちらでも紹介したいと思っています。
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