「オルフェウスの窓」ファンサイト「Die Blaetter」管理人ぼーだらのブログです。いろいろ語っております。ツッコミお願い致します!
〓 Admin 〓
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨年中の温かいご声援に深く感謝するとともに、本年の変わらぬご厚誼をお願い申し上げます。
さて、今年のTOPトップバッターとなったこの画像。WIKIPEDIAから借りてきたロシアの民間伝承のヒロイン、「スネグーラチカ」。例によってWIKIの受け売りで、少し説明いたします。
雪姫、雪娘と訳されるスネグーラチカは、雪で作られた美少女。「ジェド・マロース(霜の精)」の孫娘とも、ジェド・マロースと春の妖精「ヴェス・クラスナ(麗しの春)」の娘ともいわれています。夏の太陽の精ヤリーラをたたえる儀式のときに、溶けて消えてしまうという儚いキャラクターです。1873年、アレクサンドル・オストロフスキーがこの物語を戯曲に仕立て、1882年にはリムスキー・コルサコフによってオペラとなりました。画像はヴィクトル・ヴァスネツォフによる1899年の油彩画です。19世紀末には子供たちの新年のお芝居でジェド・マロースのお供として常連となり、毛皮の縁取りのついた青と白の服(画像の服装とは少し違いますが^^;)を着た人形がクリスマスツリー(ヨールカ)に飾られるようになりました。今ではロシアのクリスマス~新年を特徴づけるキャラクターですが、メインキャラとなったのはソ連時代以降で、西洋のサンタクロースと異なり、霜の精としての厳しい側面も持つジェド・マロースに対する「とりなし役」として定着しました。

ジェド・マロースについては、こんな民話があるそうです(WIKIから)。冬のさなか、継母に冬の野に追い出された少女に、ジェド・マロースが寒風を吹き付けて「暖かいか」と問い、少女が「暖かい」と答えると贈り物を与える。それを知った継母が自分の娘も冬の野に出すと、やはりジェド・マロースが同じように質問。「寒い」と答えた娘は凍死させられる…思いっきり後味悪いですね。ロシア人~~~さすがスターリニズムの国だよ(スターリン本人は美形産地で有名なグルジア出身ですが。おっと現在ではジョージアですね。馴染めへんな)…なんでこんな根性悪いじいさんがサンタクロースと同一視なんだよ、と思わなくもないですが、それだけロシアの自然は一筋縄でいかない、ということでしょうか。祝福と実りも与えてくれるのだけれど、その専制君主っぷりも半端じゃない、と。霜の精、というより冬将軍の変種のような気もします。
ところで、昔関西地盤の「パルナス」という洋菓子メーカーさんがあったの覚えておられる方おられますか? 夏になると「マロース」という名前のアイスクリーム菓子を売っていました…おかげで、マロースと聞くと逆に夏を連想してしまう…。
PR
オル窓にはまって幾星霜、オル窓のためだけに(w)ロシア文学を手に取ったことも幾たびか。そして多くの場合挫折(^^;)したわけですが、やはり人名それ自体の長さ、ややこしさもその一因だったような気がします。
まず、スラヴ系の名前の場合、名前自体に男女の別がある。大体女性形はAを語尾につける。
ミハイロフ(Mikhailov)=男性形→ミハイロヴァ(Mikhailova・ミハイロワ)=女性形
新聞などでは「ミハイロワ」というようにW音で表記していることも多いんですが、男性形と比較しやすいようV表記にしました。これもややこしい話で、テニスの選手の「バブリンカ」「ワウリンカ」はなんだか別人の名前のようです。V音表記なら「ヴァヴリンカ」になるんですが。
クリコフスキイ=男性形→クリコフスカヤ=女性形
「~スキイ」はポーランド・ウクライナ系に多い苗字らしいんですが、ポーランド語だと
スクウォドスキ→スクウォドスカ、という変化になります。ウクライナ・ポーランド系には男女変化のない苗字もあります(ワレサ=WIKIではヴァウェンサ、とか)。これは後で述べる父称とも関わってきます。
カレーニン=男性形→カレーニナ=女性形 ロシア語。これは分かりやすい。
なお、苗字変化のややこしいのはチェコ語で、
マサーリク→マサーリコヴァー カレル・チャペック作品で覚えました。
これに加え、ロシア名前だけの特徴として、「父称」があります。ドイツ人やフランス人などの「ミドルネーム」の代わりに、父親の名前に「~(o,e+)ヴィチ」あるいは「~ヴナ」をつけたものが入る。その代りミドルネームはありませんから、「アレクセイ・ミハイル・イヴァノフ」みたいな名前はありえない。
アレクセイ(本人の名前)・ミハイロヴィチ(ミハイル+ヴィチ=父親の名前がミハイル)・ミハイロフ(姓)、という構成がデフォになります。おばあさまの名前「ヴァシリーサ・ミハイロヴナ」はおばあさまの父親の名前がやはり「ミハイル」だったことを示しているわけ。
父親の名前が苗字替わり→苗字になる例はヨーロッパ系では珍しくなく、英語なら「ジョンソン」は「ジョン+son」だし、スコットランド系の「マク~」も同じ意味。「マクドナルド」なら「ドナルドの息子」、「マッカーサー」なら「アーサーの息子」。アイルランドの「オ~」もそうで「オニール」「オブライエン」などがこのタイプの苗字です。ウクライナなどほかのスラヴ語圏では、「~ヴィチ」がそのまま苗字になっている例も少なくない。セルビアだったかな?「ムラトヴィチ」という姓があって、「ムラート」というトルコ・イスラム系のファーストネーム+スラヴ系の父称語尾で今苗字か、と唸りましたね。苗字は、どこでも割と新しい習慣(日本だって明治時代まで苗字のない人がほとんどだったわけですから)ですが、スラヴ文化ベースでオスマン時代にトルコ・イスラムの影響が入って、それが苗字として定着って、「名乗る歴史」になってるよ~!
ミドルネーム?として父親の名前が入るのは現在ではロシアだけ。アラブ系などでは、苗字の代わりに父の名前を使いますが、これはまた別の話。
個人的には、「アレクセイ・ミハイロヴィチ」みたいな呼び方をすると、「おお、ロシア!」みたいな気がするんで、SSでも割と使ってしまいますね(^^;)。父称まで使う呼びかけはすごく丁寧で相手を敬っている感じ、らしいのですが、結構ロシア文学でよく見る感じがするのは、なんだかんだ言って書いたみなさんセレブな貴族家庭の出身だから?
まず、スラヴ系の名前の場合、名前自体に男女の別がある。大体女性形はAを語尾につける。
ミハイロフ(Mikhailov)=男性形→ミハイロヴァ(Mikhailova・ミハイロワ)=女性形
新聞などでは「ミハイロワ」というようにW音で表記していることも多いんですが、男性形と比較しやすいようV表記にしました。これもややこしい話で、テニスの選手の「バブリンカ」「ワウリンカ」はなんだか別人の名前のようです。V音表記なら「ヴァヴリンカ」になるんですが。
クリコフスキイ=男性形→クリコフスカヤ=女性形
「~スキイ」はポーランド・ウクライナ系に多い苗字らしいんですが、ポーランド語だと
スクウォドスキ→スクウォドスカ、という変化になります。ウクライナ・ポーランド系には男女変化のない苗字もあります(ワレサ=WIKIではヴァウェンサ、とか)。これは後で述べる父称とも関わってきます。
カレーニン=男性形→カレーニナ=女性形 ロシア語。これは分かりやすい。
なお、苗字変化のややこしいのはチェコ語で、
マサーリク→マサーリコヴァー カレル・チャペック作品で覚えました。
これに加え、ロシア名前だけの特徴として、「父称」があります。ドイツ人やフランス人などの「ミドルネーム」の代わりに、父親の名前に「~(o,e+)ヴィチ」あるいは「~ヴナ」をつけたものが入る。その代りミドルネームはありませんから、「アレクセイ・ミハイル・イヴァノフ」みたいな名前はありえない。
アレクセイ(本人の名前)・ミハイロヴィチ(ミハイル+ヴィチ=父親の名前がミハイル)・ミハイロフ(姓)、という構成がデフォになります。おばあさまの名前「ヴァシリーサ・ミハイロヴナ」はおばあさまの父親の名前がやはり「ミハイル」だったことを示しているわけ。
父親の名前が苗字替わり→苗字になる例はヨーロッパ系では珍しくなく、英語なら「ジョンソン」は「ジョン+son」だし、スコットランド系の「マク~」も同じ意味。「マクドナルド」なら「ドナルドの息子」、「マッカーサー」なら「アーサーの息子」。アイルランドの「オ~」もそうで「オニール」「オブライエン」などがこのタイプの苗字です。ウクライナなどほかのスラヴ語圏では、「~ヴィチ」がそのまま苗字になっている例も少なくない。セルビアだったかな?「ムラトヴィチ」という姓があって、「ムラート」というトルコ・イスラム系のファーストネーム+スラヴ系の父称語尾で今苗字か、と唸りましたね。苗字は、どこでも割と新しい習慣(日本だって明治時代まで苗字のない人がほとんどだったわけですから)ですが、スラヴ文化ベースでオスマン時代にトルコ・イスラムの影響が入って、それが苗字として定着って、「名乗る歴史」になってるよ~!
ミドルネーム?として父親の名前が入るのは現在ではロシアだけ。アラブ系などでは、苗字の代わりに父の名前を使いますが、これはまた別の話。
個人的には、「アレクセイ・ミハイロヴィチ」みたいな呼び方をすると、「おお、ロシア!」みたいな気がするんで、SSでも割と使ってしまいますね(^^;)。父称まで使う呼びかけはすごく丁寧で相手を敬っている感じ、らしいのですが、結構ロシア文学でよく見る感じがするのは、なんだかんだ言って書いたみなさんセレブな貴族家庭の出身だから?
なつ様のSSを読んで、ちょっと調べてみました。連載当時とは違って今ではネットというありがたいものがございます。以下はほぼ、Wikipediaのパクリ。()内は別に調べました。
ゲオルクスターラーは、1521年マンスフェルト伯爵(マンスフェルトは現在のザクセン・アンハルト州内の都市)が鋳造させた銀貨が起源。表に伯爵家の守護者である聖ゲオルク(ゲオルギウス)の騎乗姿(これは現在でもマンスフェルト市の市章になっています)を、裏には伯爵家の紋章を打ち出しました、聖ゲオルクは騎士の守護者とされていたので、この銀貨は弾除けのお守りとして人気を博し、穴をあけたり上部に輪を取り付けたりして、特に三十年戦争(1618-48)の間多くの兵士や軍人に愛用されました。
やがて、マンスフェルトのものだけでは需要を賄えなくなり、17世紀の終わりごろ、裏側の伯爵家の紋章を外し、代わりに荒れる嵐の海で船に乗って眠るキリストの画像をあしらったものを、ハンガリーのクレムニッツ(現在はスロヴァキアのクレムニカ。神聖ローマ帝国の貨幣鋳造所が置かれていた)の職人ヘルマン・ロート・フォン・ローテンフェルスが考案、製作。兵士のお守りに特化しました。
これは19世紀のもの。表側です(https://de.wikipedia.org/wiki/Georgstaler)から拝借。時代が下るにつれ、手元不如意な兵士のために銀に似せた廉価版も出回るようになりました。19世紀の初めごろには、中欧で人気のお守りとしてすっかり定着し、また裏の画像にちなみ航海の無事を祈る船乗りのお守りにもなりました。
こちらは裏面。
1915年には、マンスフェルトのプロイセン帰属100年を記念して、ベルリンの造幣局でこのデザインの3マルク銀貨が鋳造されたそうです。まぁ記念硬貨です。多分ユリウスは無論、ドイツにいたマリア姉様も目にすることはなかったのでは?
ゲオルクスターラーの専門サイトもあるようです(ドイツ語)
→http://www.helmutcaspar.de/aktuelles/muenzmed/muenzend.htm
ゲオルクスターラーは、1521年マンスフェルト伯爵(マンスフェルトは現在のザクセン・アンハルト州内の都市)が鋳造させた銀貨が起源。表に伯爵家の守護者である聖ゲオルク(ゲオルギウス)の騎乗姿(これは現在でもマンスフェルト市の市章になっています)を、裏には伯爵家の紋章を打ち出しました、聖ゲオルクは騎士の守護者とされていたので、この銀貨は弾除けのお守りとして人気を博し、穴をあけたり上部に輪を取り付けたりして、特に三十年戦争(1618-48)の間多くの兵士や軍人に愛用されました。
やがて、マンスフェルトのものだけでは需要を賄えなくなり、17世紀の終わりごろ、裏側の伯爵家の紋章を外し、代わりに荒れる嵐の海で船に乗って眠るキリストの画像をあしらったものを、ハンガリーのクレムニッツ(現在はスロヴァキアのクレムニカ。神聖ローマ帝国の貨幣鋳造所が置かれていた)の職人ヘルマン・ロート・フォン・ローテンフェルスが考案、製作。兵士のお守りに特化しました。

1915年には、マンスフェルトのプロイセン帰属100年を記念して、ベルリンの造幣局でこのデザインの3マルク銀貨が鋳造されたそうです。まぁ記念硬貨です。多分ユリウスは無論、ドイツにいたマリア姉様も目にすることはなかったのでは?
ゲオルクスターラーの専門サイトもあるようです(ドイツ語)
→http://www.helmutcaspar.de/aktuelles/muenzmed/muenzend.htm
最新記事
P R