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「オルフェウスの窓」ファンサイト「Die Blaetter」管理人ぼーだらのブログです。いろいろ語っております。ツッコミお願い致します!
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およそお祭りやっているサイトとは思えない長のご無沙汰、本当に失礼しております。
実は5月上旬にマイPCがダウンいたしまして、UPができない状態が続いてしまいました。メーカーに電話してみたり、販売店に修理に出したりしましたが、どーも反応としては「そろそろ新調したら?」って感じで...。6年弱でそれってひどくね? 安い買い物じゃないのに?
そんなこんなで、気難しくなって帰ってきたPCなだめなだめ、なんとか試運転みたいな状態で今これを書いています。
こんな状態ですので、お祭りはしばらく〆ないことにします。下手すると今年いっぱいくらいするかも。いろいろ流動的ですが、作品寄稿をお考えになっている方がおられる限り、対応するつもりでいます。
ご迷惑をおかけしました。今後もよろしくお願い申し上げます。

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連休も終わった今頃のお知らせになって申し訳ありません。
いや、お祭りはやりますよ絶対やりますよこれやらへんとウチのサイト意味ないし(^^;)。単にとっても遅れただけで…6月いっぱいの開催を考えていましたが、場合によっては延長するかも。
お祭りページに置いた永田紅さんの短歌について。ご存知の方も多いでしょうか、1975年生まれ、永田和宏・河野裕子さんご夫妻がご両親、永田淳さんはお兄さんというサラブレッドな若手歌人です。掲載の歌は2010年出版の『ぼんやりしているうちに』所収。京都大学で学生時代を送られているので、背景の「川」は普通に考えるのなら鴨川かもしれませんが、ご本人がオル窓ファンなのも確かなので、やはりレーゲン川かドナウ川がどっかで重なってくるんですよね…。
2003年に読売新聞夕刊にエッセーを連載されていたことがあって、そこに「愛蔵版抱えてレーゲン聖地巡礼の旅」の話が出てきました。もしかしたら大阪版だけの記事かもしれません…。スクラップしてたんですが、小さな紙片だけになくしてしまって自分がいつかネタにしようとしていたメモだけ残っていたので、そこから引用いたします。タイトルは「お話のなかの場所」、以下はその最後の部分です。
「十代を過ぎ、お話のなかの主人公たちの年齢を越えて、繊細さや熱狂や、かつてのさまざまな感覚をとり戻すことはできなくなってゆく。けれど、思い入れのある場所が実在していてくれるのはなかなか嬉しい。自分の過去の時間も、そこに預けておけるような、不思議な安心感をもつことができる。」
これを書いたとき永田さんは28歳。まだまだお若いと思うのですが、3部のユリアレ、2部のイザークには至ってないじゃあありませんか、とかツッコんでしまうのですが…でも確かに10代のような読み方はもうできないのかな、と思います。一方で40代50代の読みができるのもオル窓の凄さ怖さ…今の永田さんのご感想も聞きたいところです。
それでは皆様、預けておいた過去の時間を、ちょっとだけ眺めてみましょうか…。
 
ちなみに管理人の場合、思い入れありすぎてまだレーゲンもペテルブルクも行っていない…レーゲン行くために大学で第1外国語ドイツ語とったんじゃなかったのか…10代の頃の熱狂は、やはりなかなか追いつけないものがあります(^^;)。

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今週末13日(金)22:00~、チャットを開催いたします。emoji

チャットルームのアドレスは、当日朝までにメニューページに掲載します。
プレフェスと銘打っていますが、これもフェスのメニューの一つということで…議題は成り行きです。emoji

皆様のご参加を心よりお待ちしております。
奮ってご参加いただけますよう、どうかどうか、お願い申し上げます(m(_  _)m)。

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大事なお知らせです!

今年は、ユリウスとイザークの生誕130年。
それを記念して、今年のテーマは「第1部」です。
3か月の拡大版です。

(管理人的には)もう始まっています! いつでも作品を送ってください。
アドレスは bodara2011@yahoo.co.jp です。お問い合わせもこちらでお伺いいたします。

Special Festa for 130th anniversary for Julius & Isaak !
April - June 2018.

 

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お知らせで引用した歌がちょっと凄すぎて、ちょっと説明不足だったかな~という感じなので、こちらで補足させていただきますemoji
「一夜きみの髪もて砂の上を引摺りゆくわれはやぶれたる水仙として」河野愛子
この歌、多分どちらかが死んでいないと状況として成立しなくて、女性歌人の歌であるということを考えると多分死んでいるのは男の方、という設定なんだろうけど、女の方の「やぶれたる水仙」という状態も想像するとよく死体を引っ張って歩けるよな、というズタボロ状態ではないかとツッコンでしまう。いや、そこまでガチに考えなくても、心象風景的にとらえたらええやん、という考え方になるんだろうけれど、実際音読してみてくださいな、なんというか引きずる音が聞こえてきそうなリアリティありますから。
ふっるい映画で「情婦マノン」というのがあります。アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督、1949年のフランス映画ーーたって私だって見てないんです実はemoji。ただ、有名なシーンがあって、その部分だけ雑誌か本で見たのが忘れられない。どこかの砂漠(すごい言い方だ。多分サハラ砂漠。旧フランス領のどっか)で、男が女を運んでいく。女の足を肩に担いで逆さまに引き摺って行く。つまり女はもう死体になっていて、金髪が砂にまみれていて、なのに剥き出しになった足の線が生々しいまでに健康美という感じでーーうーん、自分で記憶盛っている可能性あるな。実はこのシーンの後に更に生々しく凄惨な続きがあるということをこちらサイトで知りました→
http://www.ivc-tokyo.co.jp/index.html
「淀川長治監修世界クラシック映画撰集」にある。ネット時代便利だなぁ(でもちょっと知りたくなかった気もemoji)。
私にとっては、掲出歌はこの「情婦マノン」の情景なんですね。元ネタはオペラにもなった「マノン・レスコー」、映画はWW2直後を舞台に置き換え、女がフランスを追われた理由を戦時中にドイツ兵と交渉を持ったからとしています。元小説のニューオーリンズ(フランスのアメリカ植民地)を北アフリカに置き換えている点、ポストコロニアリズム的な読みをしたくもなりますが(笑)。映画では死んでいるのは女、歌では男のようですがそれもいつの間にか渾然一体となって死者が死者を運んでいるような、幻想的な、夢魔の見せる夢のような恐ろしくも美しい情景になっていく。だからこそ水仙の清爽な印象が生きる。清爽であるとともに、どこかこの世のほかめいた一縷の厳しさのある美しさ。薔薇の甘い香りと違って、グリーンノートの強い水仙の香りにはどこか鋭さ、ぱっきりと切断するような男性的(?)な印象が漂います。
「水仙城といはばいふべき城ありて亡びにけりな さんたまりや」(葛原妙子)は島原の乱のイメージでしょうか? これもやはり水仙の香りに、凄惨な死の幻想を重ねた一首と言えるでしょう。
なんかもの凄まじい話になってしまいました。女性歌人のための賞に名前を残す河野愛子は1922年生まれ、1989年死去。まさに昭和を生きた人生だったでしょう。オル窓を読んでいても、時々「昭和の濃ゆさ」に圧倒されてしまうのですが(自分も昭和生まれですが)、この歌も平成には似合わないほどの濃い歌です。なんでかなぁと考えると、やっぱり戦争体験の有無になるのかなぁ。女性の人生に今ほどの選択肢がなくて恋愛にかける熱量に余裕があったから、という考え方もあるけれど、恋ざかりのころに死を身近に感じていた経験ってやはり簡単に想像できない重みがある気がする。結論を言っちゃえば、あまり迫力の恋歌がない時代の方が、多分女性は幸せだと(笑)。

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