「オルフェウスの窓」ファンサイト「Die Blaetter」管理人ぼーだらのブログです。いろいろ語っております。ツッコミお願い致します!
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なんか未練がましくってごめんなさい。んでもって、真田丸シリーズの最初の方で書いた気もするんだけど、でもこれ書かないと〆られない気がする。
幸村の切り死にとか燃え盛る大坂城とか、もっと派手な〆かたはいくらでもあったと思うのに、多分主役級の中では一番地味なこの人がトリを務めた。真田家の「お兄ちゃん」信之公(大泉洋さん)。遠い昔のNHKドラマ「真田太平記」(覚えている方おられます?)では二枚目渡瀬恒彦が務めた役をアップデート、ギャグ要員?ながら個性派枠の風貌に凡人の哀愁を乗せた名演でした。
敗者の五分の魂を存分に語りながらも、滅びの美の中でドラマを終わらせなかった。その点が、このドラマの一番の新しさ、個性だったと思うのです。そして、滅んでいった人々を哀惜しながらも前に進む、進まざるを得ない(だって彼には信濃上田藩と真田のお家がおんぶお化けのように乗っかってるんですから)この人ほど、物語の〆に相応しい人はいなかった。弟を止めようとして止められなかった大坂から上田へと帰る旅、弟の死を感じながら、なお顔をあげて前を向く。
オル窓4部の〆、最初読んだときはあっけなさ過ぎて、ちょっと「え!」みたいに感じてしまったのだけれど、これはこれで年を重ねる毎にじわじわと納得感がしみ出してくる、スルメのように味わい深い終わり方だなあと思うようになりました。ユリウスの死後、ダーヴィト(彼も「お兄ちゃん」的な役回りですよね)と遺された姉マリア・バルバラが結ばれることを示すページ、そしてイザークの?(だってダーヴィトのでも、神的なもののナレーションでもおかしくないですよね)「オルフェウスの窓…かぎりなき青春の軌跡…」という述懐で終わる。死んでいった人々…ユリウスは勿論、イザークとダーヴィトはアレクセイのことも「クラウス」として知っている、またWW1の中で死んでいったゼバス生もいただろうし、イザークは従軍もしているし妻を亡くしたばかりだし(忘れかけてた…)、読者としては彼らの知らないところで死んだレオニードやロストフスキー、アルラウネ、ユーリィ、ガリーナ、アントニーナやミハイルも忘れ難い…彼らを悼む気持ちがどれだけ深かろうと、遺された者たちの人生は続いていく。ちょっと唐突な印象のあるマリア・バルバラとダーヴィトの結婚も、ドラマの傍観者であり見届けるものであった二人が寄り添っていくことで、ドラマの重みを二人で担っていく、というようにも思えるのです。
真田丸ともオル窓とも関係ないんだけれど、なんとなく思い出してしまう、好きな小説の末尾を引用して〆させていただきます。
So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly in to the past.
(そして僕たちは、流れに逆らいながらボートを漕ぐ、過去へと絶え間なく押し戻されながら)
訳文がへたくそでごめんなさい。S・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」から。この一文はフィッツジェラルドのお墓にも刻まれているそうな。
幸村の切り死にとか燃え盛る大坂城とか、もっと派手な〆かたはいくらでもあったと思うのに、多分主役級の中では一番地味なこの人がトリを務めた。真田家の「お兄ちゃん」信之公(大泉洋さん)。遠い昔のNHKドラマ「真田太平記」(覚えている方おられます?)では二枚目渡瀬恒彦が務めた役をアップデート、ギャグ要員?ながら個性派枠の風貌に凡人の哀愁を乗せた名演でした。
敗者の五分の魂を存分に語りながらも、滅びの美の中でドラマを終わらせなかった。その点が、このドラマの一番の新しさ、個性だったと思うのです。そして、滅んでいった人々を哀惜しながらも前に進む、進まざるを得ない(だって彼には信濃上田藩と真田のお家がおんぶお化けのように乗っかってるんですから)この人ほど、物語の〆に相応しい人はいなかった。弟を止めようとして止められなかった大坂から上田へと帰る旅、弟の死を感じながら、なお顔をあげて前を向く。
オル窓4部の〆、最初読んだときはあっけなさ過ぎて、ちょっと「え!」みたいに感じてしまったのだけれど、これはこれで年を重ねる毎にじわじわと納得感がしみ出してくる、スルメのように味わい深い終わり方だなあと思うようになりました。ユリウスの死後、ダーヴィト(彼も「お兄ちゃん」的な役回りですよね)と遺された姉マリア・バルバラが結ばれることを示すページ、そしてイザークの?(だってダーヴィトのでも、神的なもののナレーションでもおかしくないですよね)「オルフェウスの窓…かぎりなき青春の軌跡…」という述懐で終わる。死んでいった人々…ユリウスは勿論、イザークとダーヴィトはアレクセイのことも「クラウス」として知っている、またWW1の中で死んでいったゼバス生もいただろうし、イザークは従軍もしているし妻を亡くしたばかりだし(忘れかけてた…)、読者としては彼らの知らないところで死んだレオニードやロストフスキー、アルラウネ、ユーリィ、ガリーナ、アントニーナやミハイルも忘れ難い…彼らを悼む気持ちがどれだけ深かろうと、遺された者たちの人生は続いていく。ちょっと唐突な印象のあるマリア・バルバラとダーヴィトの結婚も、ドラマの傍観者であり見届けるものであった二人が寄り添っていくことで、ドラマの重みを二人で担っていく、というようにも思えるのです。
真田丸ともオル窓とも関係ないんだけれど、なんとなく思い出してしまう、好きな小説の末尾を引用して〆させていただきます。
So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly in to the past.
(そして僕たちは、流れに逆らいながらボートを漕ぐ、過去へと絶え間なく押し戻されながら)
訳文がへたくそでごめんなさい。S・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」から。この一文はフィッツジェラルドのお墓にも刻まれているそうな。
前々回に触れたサマーセット・モームの戦争体験。知性も教養もある40男がいきなり近代総力戦に参加するという特異な体験談。すべて前出の「サミング・アップ」からの引用です。
「内閣に友人がいたので、手紙を出して、何か仕事を得られるように力を貸してほしいと頼んだ。すると、まもなく陸軍省に出頭するように要請された。しかし、イギリスで事務の仕事を割り当てられそうであったし、直ぐにフランス戦線に出たかったので、野戦病院隊入りを志願した。自分が他の人より愛国心が少ないとは思わないが、愛国心のためだけでなく新しい経験の与える興奮が欲しかったのだ」。解説すると、モームはパリ生まれで10歳までフランスで暮らしている。作家になる前に医学の勉強をしている。「学校以来あれこれ指図された経験のない私なので、あれやこれやと命令され、それさえ済ませば後は自由だというのは、実にいい気分だった」「特に危険に曝されてはいなかった。危険に曝されたら自分がどう感じるか知りたかった」。同性愛性向に悩み非難を恐れていた裏事情はともかくとして、好奇心や普段できない経験への憧れで戦場に行ってしまうというのは、妙なリアリティがなくもない(もしかしたら、イザークもそんな感じだったんだろうか…ロベルタとはぎくしゃくしてた頃だしな)…人が愛国の何のと盛り上がっているときに引いた眼で見てしまう人間が、逆に陥りがちな罠という気がする。個人にとって、戦争というのは結構こんな形で始まってしまうものかもしれない…「イープルの大広場で、私が寄りかかっていた壁が、崩壊した繊維会館を別の側から見ようとして壁から離れた瞬間に、砲弾で吹き飛ばされたのだ。しかしこのときは、あまりのショックで自分の気持ちを観察するどころではなかった」。そんなものなんだろうか。
実はモームが件の奥方シリー・バーナードと結婚したのは大戦中。相手は富豪の夫がいる人妻で離婚裁判の共同被告になってまでの結婚だからどんだけ大恋愛と思いきや…。これも同性愛の目くらましの一環という性格もあるでしょうが、戦争体験の影響もあったのかも。思った以上に心がわやくちゃになっていたのかもしれない。ちなみに「サミング・アップ」、大戦経験の章では結婚については触れられていない。
「しばらくして私は情報部の一員となった。(中略)新しい任務は私のロマンス好みと滑稽好みの両方の気分に合っていた。後をつけられた場合に相手を巻くのに使えと教えられた方法、思いもよらぬ場所でのスパイとの連絡、謎めいたやり口でのメッセージの伝達、国境を越えての報告書の密送、これらはすべて非常に重要なことであったが、当時『スリラー』という名称で知られていた廉価版を連想させるので、私にしてみると戦争の現実味が薄れた。いずれ自分の小説で役立てるかもしれない材料にしか思えなかった」。
「内閣に友人がいたので、手紙を出して、何か仕事を得られるように力を貸してほしいと頼んだ。すると、まもなく陸軍省に出頭するように要請された。しかし、イギリスで事務の仕事を割り当てられそうであったし、直ぐにフランス戦線に出たかったので、野戦病院隊入りを志願した。自分が他の人より愛国心が少ないとは思わないが、愛国心のためだけでなく新しい経験の与える興奮が欲しかったのだ」。解説すると、モームはパリ生まれで10歳までフランスで暮らしている。作家になる前に医学の勉強をしている。「学校以来あれこれ指図された経験のない私なので、あれやこれやと命令され、それさえ済ませば後は自由だというのは、実にいい気分だった」「特に危険に曝されてはいなかった。危険に曝されたら自分がどう感じるか知りたかった」。同性愛性向に悩み非難を恐れていた裏事情はともかくとして、好奇心や普段できない経験への憧れで戦場に行ってしまうというのは、妙なリアリティがなくもない(もしかしたら、イザークもそんな感じだったんだろうか…ロベルタとはぎくしゃくしてた頃だしな)…人が愛国の何のと盛り上がっているときに引いた眼で見てしまう人間が、逆に陥りがちな罠という気がする。個人にとって、戦争というのは結構こんな形で始まってしまうものかもしれない…「イープルの大広場で、私が寄りかかっていた壁が、崩壊した繊維会館を別の側から見ようとして壁から離れた瞬間に、砲弾で吹き飛ばされたのだ。しかしこのときは、あまりのショックで自分の気持ちを観察するどころではなかった」。そんなものなんだろうか。
実はモームが件の奥方シリー・バーナードと結婚したのは大戦中。相手は富豪の夫がいる人妻で離婚裁判の共同被告になってまでの結婚だからどんだけ大恋愛と思いきや…。これも同性愛の目くらましの一環という性格もあるでしょうが、戦争体験の影響もあったのかも。思った以上に心がわやくちゃになっていたのかもしれない。ちなみに「サミング・アップ」、大戦経験の章では結婚については触れられていない。
「しばらくして私は情報部の一員となった。(中略)新しい任務は私のロマンス好みと滑稽好みの両方の気分に合っていた。後をつけられた場合に相手を巻くのに使えと教えられた方法、思いもよらぬ場所でのスパイとの連絡、謎めいたやり口でのメッセージの伝達、国境を越えての報告書の密送、これらはすべて非常に重要なことであったが、当時『スリラー』という名称で知られていた廉価版を連想させるので、私にしてみると戦争の現実味が薄れた。いずれ自分の小説で役立てるかもしれない材料にしか思えなかった」。
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