「オルフェウスの窓」ファンサイト「Die Blaetter」管理人ぼーだらのブログです。いろいろ語っております。ツッコミお願い致します!
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実は昨日(8月28日)は、陰暦の7月7日、本来の七夕の節句だったんですね。新暦(太陽暦)の7月7日じゃ梅雨のど最中ですから、織姫と彦星には可哀そうなことになっています。
まだ「真田丸」引きずってるんかい!と言われそうですが、上杉家の重鎮、直江兼続の漢詩を。真田丸では、村上新悟さんが、チベットスナギツネに例えられる三白眼+無表情かつイケボで好演。
「織女惜別」
二星何恨隔年逢 二星 何ぞ恨まん 年を隔てて逢ふを
今夜連床散鬱胸 今夜 床を連ねて鬱胸を散ず
私語未終先洒涙 私語 未だ終はらざるに先づ涙を洒ぐ
合歓枕下五更鐘 合歓枕下 五更の鐘
チベスナお前むっつりやな~~!!と言いたくなる、結構エロチックな絶句であります。
前半が、なんとなく「すずらんナイト」の「オルフェウスの窓で出会ったふたりはみなこのようにして 懸命に運命に抗いながら結んだ手をいっそうきつくきつく握り合ったのだろうか…」の部分を連想しちゃうのです、はい。
あ~MENUページのWhat's New更新しなきゃ、と思いつつ、寝落ち寸前…
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はぁ、昨日は集中豪雨でえらい目に遭いました。ウチのビビリ犬なら腰ぬかしそうな雷で通勤電車が不通になりました――阪神大震災でも走っていた京阪電車なんですが。今どきの雨はほんまやることが乱暴です。
涼しい話に戻りましょう。
1917年夏、アメリカから横浜・敦賀経由、シベリア鉄道でペトログラードへと向かったわれらが中年インドア派モーム氏ですが、「サミング・アップ」によると、どうも散々な思い出になったようです。「私はロシアにもロシア人にもうんざりした」。体調もすっかり崩してしまい、イギリスにもどったとたんに病院送りになっているくらいですから、肉体的にもハードだったことは確か。「大使館勤務の連中は腹いっぱい食べてお国の仕事をしていたが、私は任務の性格上それは出来ず、お陰でロシア人と同じく栄養不良にならざるを得なかった」などといささか恨みがましいことも言っていたりする。
版によって異同があるようですが、岩波文庫版「アシェンデン」は序文+16章構成、うちロシア編は最後の3章になりますが、実は登場するロシア人は亡命ロシア人革命家の娘と紹介されているアナスタシーア・アレクサーンドロヴナ・レオニードフ(さすがにオル窓ネームにいちいち反応していたら身が持たないと思うようになった今日この頃)という女性(人妻)のみ。実は彼女は主人公の元カノで、その過去のいきさつが3章のうち「恋とロシア文学」に描かれている。その前の章は「旅は道連れ シベリア鉄道」で、ここでは大陸横断の旅――というより、列車で偶然知り合ったアメリカ人ビジネスマンハリントン氏の人となりがほとんどを占めている。つまり全3章のうちペトログラードの話は1章だけ…。やる気あるんかい、という淡白さともいえます。
そら任務は散々で体まで壊したんならろくなこと書かないのは当然――なのかどうなのか。解釈として、一番面白くて腑に落ちる?のは、ロシアでの彼の行動はがっつり機密事項だったので、上から差し止められていた、という解釈。でも、なら最初から書くなよ、って気がしませんか? ほかの章は、ドイツ情報をもたらしていたスイス人スパイ、イギリスの敵は味方だとドイツで活動するインド独立の志士とその恋人の踊り子、ドイツのスパイを務めるアイルランド系イギリス人とそのドイツ人妻と愛犬(犬が可愛い、泣ける)、自称「将軍」のメキシコ人殺し屋等々、ありそうな機密っぽいような、でも人間描写の面白さで読ませる話ばかりで、こっちが差し止めにならなくてロシアだけダメ?とも思えるし、逆にロシア編でも機密の周りを上手に迂回して面白い人間ドラマを描くこともモームならできたんじゃない?とも思える。
涼しい話に戻りましょう。
1917年夏、アメリカから横浜・敦賀経由、シベリア鉄道でペトログラードへと向かったわれらが中年インドア派モーム氏ですが、「サミング・アップ」によると、どうも散々な思い出になったようです。「私はロシアにもロシア人にもうんざりした」。体調もすっかり崩してしまい、イギリスにもどったとたんに病院送りになっているくらいですから、肉体的にもハードだったことは確か。「大使館勤務の連中は腹いっぱい食べてお国の仕事をしていたが、私は任務の性格上それは出来ず、お陰でロシア人と同じく栄養不良にならざるを得なかった」などといささか恨みがましいことも言っていたりする。
版によって異同があるようですが、岩波文庫版「アシェンデン」は序文+16章構成、うちロシア編は最後の3章になりますが、実は登場するロシア人は亡命ロシア人革命家の娘と紹介されているアナスタシーア・アレクサーンドロヴナ・レオニードフ(さすがにオル窓ネームにいちいち反応していたら身が持たないと思うようになった今日この頃)という女性(人妻)のみ。実は彼女は主人公の元カノで、その過去のいきさつが3章のうち「恋とロシア文学」に描かれている。その前の章は「旅は道連れ シベリア鉄道」で、ここでは大陸横断の旅――というより、列車で偶然知り合ったアメリカ人ビジネスマンハリントン氏の人となりがほとんどを占めている。つまり全3章のうちペトログラードの話は1章だけ…。やる気あるんかい、という淡白さともいえます。
そら任務は散々で体まで壊したんならろくなこと書かないのは当然――なのかどうなのか。解釈として、一番面白くて腑に落ちる?のは、ロシアでの彼の行動はがっつり機密事項だったので、上から差し止められていた、という解釈。でも、なら最初から書くなよ、って気がしませんか? ほかの章は、ドイツ情報をもたらしていたスイス人スパイ、イギリスの敵は味方だとドイツで活動するインド独立の志士とその恋人の踊り子、ドイツのスパイを務めるアイルランド系イギリス人とそのドイツ人妻と愛犬(犬が可愛い、泣ける)、自称「将軍」のメキシコ人殺し屋等々、ありそうな機密っぽいような、でも人間描写の面白さで読ませる話ばかりで、こっちが差し止めにならなくてロシアだけダメ?とも思えるし、逆にロシア編でも機密の周りを上手に迂回して面白い人間ドラマを描くこともモームならできたんじゃない?とも思える。
なんか未練がましくってごめんなさい。んでもって、真田丸シリーズの最初の方で書いた気もするんだけど、でもこれ書かないと〆られない気がする。
幸村の切り死にとか燃え盛る大坂城とか、もっと派手な〆かたはいくらでもあったと思うのに、多分主役級の中では一番地味なこの人がトリを務めた。真田家の「お兄ちゃん」信之公(大泉洋さん)。遠い昔のNHKドラマ「真田太平記」(覚えている方おられます?)では二枚目渡瀬恒彦が務めた役をアップデート、ギャグ要員?ながら個性派枠の風貌に凡人の哀愁を乗せた名演でした。
敗者の五分の魂を存分に語りながらも、滅びの美の中でドラマを終わらせなかった。その点が、このドラマの一番の新しさ、個性だったと思うのです。そして、滅んでいった人々を哀惜しながらも前に進む、進まざるを得ない(だって彼には信濃上田藩と真田のお家がおんぶお化けのように乗っかってるんですから)この人ほど、物語の〆に相応しい人はいなかった。弟を止めようとして止められなかった大坂から上田へと帰る旅、弟の死を感じながら、なお顔をあげて前を向く。
オル窓4部の〆、最初読んだときはあっけなさ過ぎて、ちょっと「え!」みたいに感じてしまったのだけれど、これはこれで年を重ねる毎にじわじわと納得感がしみ出してくる、スルメのように味わい深い終わり方だなあと思うようになりました。ユリウスの死後、ダーヴィト(彼も「お兄ちゃん」的な役回りですよね)と遺された姉マリア・バルバラが結ばれることを示すページ、そしてイザークの?(だってダーヴィトのでも、神的なもののナレーションでもおかしくないですよね)「オルフェウスの窓…かぎりなき青春の軌跡…」という述懐で終わる。死んでいった人々…ユリウスは勿論、イザークとダーヴィトはアレクセイのことも「クラウス」として知っている、またWW1の中で死んでいったゼバス生もいただろうし、イザークは従軍もしているし妻を亡くしたばかりだし(忘れかけてた…)、読者としては彼らの知らないところで死んだレオニードやロストフスキー、アルラウネ、ユーリィ、ガリーナ、アントニーナやミハイルも忘れ難い…彼らを悼む気持ちがどれだけ深かろうと、遺された者たちの人生は続いていく。ちょっと唐突な印象のあるマリア・バルバラとダーヴィトの結婚も、ドラマの傍観者であり見届けるものであった二人が寄り添っていくことで、ドラマの重みを二人で担っていく、というようにも思えるのです。
真田丸ともオル窓とも関係ないんだけれど、なんとなく思い出してしまう、好きな小説の末尾を引用して〆させていただきます。
So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly in to the past.
(そして僕たちは、流れに逆らいながらボートを漕ぐ、過去へと絶え間なく押し戻されながら)
訳文がへたくそでごめんなさい。S・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」から。この一文はフィッツジェラルドのお墓にも刻まれているそうな。
幸村の切り死にとか燃え盛る大坂城とか、もっと派手な〆かたはいくらでもあったと思うのに、多分主役級の中では一番地味なこの人がトリを務めた。真田家の「お兄ちゃん」信之公(大泉洋さん)。遠い昔のNHKドラマ「真田太平記」(覚えている方おられます?)では二枚目渡瀬恒彦が務めた役をアップデート、ギャグ要員?ながら個性派枠の風貌に凡人の哀愁を乗せた名演でした。
敗者の五分の魂を存分に語りながらも、滅びの美の中でドラマを終わらせなかった。その点が、このドラマの一番の新しさ、個性だったと思うのです。そして、滅んでいった人々を哀惜しながらも前に進む、進まざるを得ない(だって彼には信濃上田藩と真田のお家がおんぶお化けのように乗っかってるんですから)この人ほど、物語の〆に相応しい人はいなかった。弟を止めようとして止められなかった大坂から上田へと帰る旅、弟の死を感じながら、なお顔をあげて前を向く。
オル窓4部の〆、最初読んだときはあっけなさ過ぎて、ちょっと「え!」みたいに感じてしまったのだけれど、これはこれで年を重ねる毎にじわじわと納得感がしみ出してくる、スルメのように味わい深い終わり方だなあと思うようになりました。ユリウスの死後、ダーヴィト(彼も「お兄ちゃん」的な役回りですよね)と遺された姉マリア・バルバラが結ばれることを示すページ、そしてイザークの?(だってダーヴィトのでも、神的なもののナレーションでもおかしくないですよね)「オルフェウスの窓…かぎりなき青春の軌跡…」という述懐で終わる。死んでいった人々…ユリウスは勿論、イザークとダーヴィトはアレクセイのことも「クラウス」として知っている、またWW1の中で死んでいったゼバス生もいただろうし、イザークは従軍もしているし妻を亡くしたばかりだし(忘れかけてた…)、読者としては彼らの知らないところで死んだレオニードやロストフスキー、アルラウネ、ユーリィ、ガリーナ、アントニーナやミハイルも忘れ難い…彼らを悼む気持ちがどれだけ深かろうと、遺された者たちの人生は続いていく。ちょっと唐突な印象のあるマリア・バルバラとダーヴィトの結婚も、ドラマの傍観者であり見届けるものであった二人が寄り添っていくことで、ドラマの重みを二人で担っていく、というようにも思えるのです。
真田丸ともオル窓とも関係ないんだけれど、なんとなく思い出してしまう、好きな小説の末尾を引用して〆させていただきます。
So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly in to the past.
(そして僕たちは、流れに逆らいながらボートを漕ぐ、過去へと絶え間なく押し戻されながら)
訳文がへたくそでごめんなさい。S・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」から。この一文はフィッツジェラルドのお墓にも刻まれているそうな。
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