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「オルフェウスの窓」ファンサイト「Die Blaetter」管理人ぼーだらのブログです。いろいろ語っております。ツッコミお願い致します!
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しつこくてすみません…今週中には終わりますから! あと1回、2回、いや3回?


このシーンの「語り」がすごく好きでした。第49回、出陣を前に妻子を逃がした幸村(源二郎信繁=堺雅人さん)がずっと自分を愛しそばにいた女性・きり(長澤まさみさん)を抱き寄せるところ。「高梨内記の娘に関しては、さまざまな言い伝えがある。真田信繁の側室であったとも、彼の子供を宿したとも。真偽はともかく、ひとつだけ確かなのは、信繁に関わった女性たちの中で最も長くそばにいたのは彼女だということである」。
長澤まさみさんの「きり」は登場当初現代っ子キャラもあって、役回りは分かるけれどこの女優さんヅラ似合わないんじゃね?とか失礼なこと考えていましたが、どんどん垢ぬけて、茶々とは対照的に健全な強さを持つ美しさが出てきていたと思います。
この語りの段階でドラマはあと1回残っていて、そこでは大坂夏の陣――家康の窮地や千姫の脱出、最後には信繁の戦死と大坂城落城に至るドラマのクライマックスがあることは、見るものは分かっている。特にきりについては、信繁と違って落城後の生死も不明でこの先のドラマは誰にも見えていないわけだけれど、ここでこの語りが入ったことによって、この時代を生きた彼女の人生が歴史の神様みたいなものにきっちりと位置付けられて評価されている感じがする。センチな言い方をすれば歴史という星空の中にきりという星が納まった、みたいな(きっと信繁と同じ星座だ)。「うん、よく頑張ったね」という神様の労いが聞こえてくるような。
で、ゆくりなくも思い出したのが、「オル窓」ユリウスとアレクセイの最後の逢瀬。「——それが 伝説に結び合わされたふたりの お互いのぬくもりを確かめ合えた 最後の時となった…」というあの文章です。ここの語りってちょっと特異で、他の語りは基本歴史事象の説明かキャラの独白の延長なんだけれど、ここだけが(創作の)キャラの運命を、ちょっと引いた、いわば「神の目線」で語っている。この一文があることでユリウスとアレクセイが一気に「(準)歴史上の人物」になって、本当のクライマックスの前にも関わらず、その生死・運命が歴史の中で避けようのないものとして確立されたような印象がある。きりの場合より救いがない扱いなんだけれど(--;)風の中に屹立するユリウスの美しさと相まって、私にとっては忘れがたいシーンの一つです。
あと、ユリウスときりは「妖精枠」みたいな共通点もある気がするんだけれど、それはまだ先の話、ということで。。

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前々回に触れたサマーセット・モームの戦争体験。知性も教養もある40男がいきなり近代総力戦に参加するという特異な体験談。すべて前出の「サミング・アップ」からの引用です。
「内閣に友人がいたので、手紙を出して、何か仕事を得られるように力を貸してほしいと頼んだ。すると、まもなく陸軍省に出頭するように要請された。しかし、イギリスで事務の仕事を割り当てられそうであったし、直ぐにフランス戦線に出たかったので、野戦病院隊入りを志願した。自分が他の人より愛国心が少ないとは思わないが、愛国心のためだけでなく新しい経験の与える興奮が欲しかったのだ」。解説すると、モームはパリ生まれで10歳までフランスで暮らしている。作家になる前に医学の勉強をしている。「学校以来あれこれ指図された経験のない私なので、あれやこれやと命令され、それさえ済ませば後は自由だというのは、実にいい気分だった」「特に危険に曝されてはいなかった。危険に曝されたら自分がどう感じるか知りたかった」。同性愛性向に悩み非難を恐れていた裏事情はともかくとして、好奇心や普段できない経験への憧れで戦場に行ってしまうというのは、妙なリアリティがなくもない(もしかしたら、イザークもそんな感じだったんだろうか…ロベルタとはぎくしゃくしてた頃だしな)…人が愛国の何のと盛り上がっているときに引いた眼で見てしまう人間が、逆に陥りがちな罠という気がする。個人にとって、戦争というのは結構こんな形で始まってしまうものかもしれない…「イープルの大広場で、私が寄りかかっていた壁が、崩壊した繊維会館を別の側から見ようとして壁から離れた瞬間に、砲弾で吹き飛ばされたのだ。しかしこのときは、あまりのショックで自分の気持ちを観察するどころではなかった」。そんなものなんだろうか。
実はモームが件の奥方シリー・バーナードと結婚したのは大戦中。相手は富豪の夫がいる人妻で離婚裁判の共同被告になってまでの結婚だからどんだけ大恋愛と思いきや…。これも同性愛の目くらましの一環という性格もあるでしょうが、戦争体験の影響もあったのかも。思った以上に心がわやくちゃになっていたのかもしれない。ちなみに「サミング・アップ」、大戦経験の章では結婚については触れられていない。
「しばらくして私は情報部の一員となった。(中略)新しい任務は私のロマンス好みと滑稽好みの両方の気分に合っていた。後をつけられた場合に相手を巻くのに使えと教えられた方法、思いもよらぬ場所でのスパイとの連絡、謎めいたやり口でのメッセージの伝達、国境を越えての報告書の密送、これらはすべて非常に重要なことであったが、当時『スリラー』という名称で知られていた廉価版を連想させるので、私にしてみると戦争の現実味が薄れた。いずれ自分の小説で役立てるかもしれない材料にしか思えなかった」。




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やっぱりこの日くらいは、これを考えたほうがいいと思う――ってもう昨日ですが。
たまたま日本人だからこの日にしたけれど、本当は今戦争をしていない国の人間も1年に1回くらいは、戦争を真面目に思うこと、想像することをするべきじゃないかな、と思わなくもない。
「またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく」岡野弘彦『滄浪歌』1947
玉音放送以後、戦争の記憶は意識的に死者のまつり盂蘭盆会に結び付けられてきたと説明(佐藤卓己『八月十五日の神話』)されたりもするが、この1首では、まさに季節と個性をはぎ取られた戦争の死者の姿が暗いリズムの中に一体化している。作者は東京大空襲を体験した元特攻隊員。
近作には「地に深くひそみ戦ふ タリバンの少年兵をわれは蔑(な)みせず」。

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既に「おんな城主直虎」がクライマックスを迎えているこんな時期にまだ丸ネタ引っ張ってごめんなさい。むしろこういう時期だからこそ溜まったものを燃焼しておきたいというか、拾ったネタは使わなソンソンというか(^^;)。どうかご寛恕いただきますようお願い申し上げます。
ヒロイン?対決、「真田丸」登場人物の中でユリウスとの共通性を感じるのがこの方。
大坂城の女あるじ、お上さまこと淀殿茶々姫(画像はNHK)。この役で初めて、竹内結子さんを「圧倒的に美しい」と思いました(失礼!)。それも後半、大坂の陣で。
なんといっても無敵のファムファタル属性! 華やかな美しさの奥に、死の――というより異界の匂いを漂わせるのが「宿命の女」の真骨頂です。ユリウスは「恋に命を懸けた女」というより「宿命に殉じた女」だと思う。人生の早い時期に、避けようのない状態で死の洗礼を受け、ユリウスは複数回の記憶喪失の陰に、茶々は一見糸が切れたような奔放な明るさに隠して死や滅びへの親和性を窺わせる。ユリウスは捨てた記憶の奥にある死神の影におびえ、茶々は大坂の陣の戦死者や遠距離砲撃の犠牲になった侍女に笑みを浮かべて近寄ろうとしては場を凍り付かせる。実はユリウスって結構肝心なところで大事な判断を間違えて(必ずしも彼女のせいとはいえないのだけれど)死を招いているところがあるんだけれど、これも大坂の陣での茶々を連想してしまいます。
「真田丸」は、真田幸村を描きながら「滅びの美」に酔わせないところが一番の個性であり魅力だったと思うのですが、茶々も「母に策があります」と秀頼に告げ、千姫の和平交渉に期待し(期待できないことを視聴者は知っている)、最後まで明るい笑みで死地に向かいます。ユリウスは嘆きの中で死んだようでも、「安息を求めていた」と語りながら最終的に愛の記憶の中で死を迎える(と私は解釈している)。死に魅入られた美女たちは最終的に、傍から見たら悲劇的であっても、ある種の安息というか、自分の人生が一つの円環を描いて閉じた、という認識の中で最期を迎えたように思えてなりません。
そう、ファムファタルとは、単に己のために冷酷に他者を害する女ではないのです(アネロッテは違う)。基本欲望というのは明るいもの、未来を信じているからこそ存在するもの。ファムファタルは、自分に何の悪意もなくても周りを滅びへと巻きこんでしまう美しくも歩く地雷のようなひとを指すのです…。
お祭り終盤なのにちょっと寂しい状況なので、にぎやかしのために去年書いた(そして評判悪かったーー^^;)SS再掲いたしました。万が一にも読んでやろうと方がおられましたら、「百年祭」からお入りください。

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えー時すでに8月、こちらも1か月以上ほっぽいといたわけで…はい、管理人として申し訳もへったくれもありませんemoji。つっか、最初「お祭りは8月まで」とか言ってなかったか自分…。
久しぶりの登場が、いきなりお詫びばかりで申し訳ありませんemoji
最近、新聞の新刊広告欄を眺めていて気が付いたのがこれ。
 
サマーセット・モームの「アシェンデン」が新訳で出たんですね。金原瑞人さんは、児童文学、アメリカ文学の翻訳家だと思っていたので少し意外。モームというのも、思い出したように間欠泉のように人気が出る作家で、日本では1950年代がピークだったらしいけれど、2000年前後にもちくま文庫から選集が出て、その後岩波文庫から「夫が多すぎる(戯曲)」とか上下巻の短編集とか出て、岩波現代文庫からも行方昭夫さんの「モームの謎」が出たりしているから、また評価が上がりかけてるのかも。管理人は「アシェンデン」は2008年に出た中島賢二ほか訳の岩波文庫文庫版を持っています。
なんでここで「アシェンデン」かといえば、これはモーム自身のスパイ経験談が基になった連作短編集なんですが、最後の3編が革命下1917年のロシアが舞台――つまりモーム本人が、シークレット・エージェントとして、オル窓時代のロシア・ペトログラードを体験しているんですね。
別作品にいわく「南海の島からアメリカに戻ってまもなく、ある使命を与えられてペトログラードに派遣された。(中略)仕事の内容は、ロシア臨時政府に敵対する政党に接触し、ロシアに対独戦争を継続させ、ドイツ・オーストリア同盟国側の支持するボルシェヴィキが権力を握るのを阻止する方策を見出す事であった。仕事が惨めな失敗に終わったことは読者もご存じであろう。もし6か月早く出かけていれば、結構成功していたかもしれないと私は考えているが、読者に信じてほしいという気持ちはない。」(岩波文庫版「サミング・アップ」)。ヲイヲイと言いたくなるようなお話ですが、当人は当時43歳、今なら男盛りでしょうがそこは100年前だから適宜差っ引くとして、職業作家だけあって当然インドア派、実は子供のころから吃音があって結構人見知りの引っ込み思案、ジェイムズ・ボンドを期待するだけ無駄無駄無駄――じゃあなんで、わざわざ志願して(したんである)スパイなんかやってたかといえば、アメリカ人の秘書(男性)と深い仲になってしまっう一方妻とはぎくしゃくしていて、ともかく人間関係から逃げ出したかったのと、「男性的」「愛国的」なポーズを世間で見せつけることで同性愛への批判を逸らせたかった(モーム夫人は社交界の名花と呼ばれた女性で、当然マスコミや文芸・批評家たちに人脈があった)のでは…というのが前出「モームの謎」での説。レオが(不慣れな)謀略に精を出し、ユリウスが不安の中で出産を待ち望んでいたすぐそばの通りで、人生崖っぷちの中年作家が悩んだり大言壮語したり、その後の小説のネタを拾い集めていたり…ドラマティックなようなそうでないような、そんな状況を想像すると、革命下ペトログラード(オル窓ではペテルスブルクですが)という街にリアルな陰影が感じられるような気がします。
勿論、「アシェンデン」をはじめとするモームの作品を、この時代のロシアについての証言と読むことも可能です。皮相なようでドラマへの強い憧れを秘めたモームの言葉から浮かぶペトログラード、またこちらでも紹介したいと思っています。

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