「オルフェウスの窓」ファンサイト「Die Blaetter」管理人ぼーだらのブログです。いろいろ語っております。ツッコミお願い致します!
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というのは、『真田丸』の石田治部小輔三成のセリフですが…かれこれ1年くらい前の話になるんだなぁ(^^;)。

山本耕史さん。NHK公式から拉致(もうHPは閉鎖済み)
『オル窓』でこのセリフが似合いそうなのは言うまでもなくレオ様。カオル様から届いたカッコいいレオ様を見ながら、うん、絶対に合うよね♪と喜んでおりました(^^)。
結構共通点はあると思うんですよね。一見冷たそうだけど実は熱い部分を持っているとか、誰よりもその欠陥を知りつつ(命がけで秀吉を諫めたり、秀吉の政策の危うさを語ったりしてましたから)方向転換が効かないまま前政権に殉じた点とか、コミュ障気味?で能力や才覚のわりにいまいち人望がないところとか(堀北真希のダンナには男は協力せんわ~というオチもあった。ちなみに親友は藤原紀香のダンナ、部下は菅野美穂のダンナw)。何よりある種の孤独の相につきまとわれているところとか。
レオ様人望あまりないですよね。コネを使ってトップを動かせても、腹心の部下とか同志には(ロス君以外)恵まれないと見た。ラスプ暗殺の際に、他の任務、それも機密性の高いのを絶賛遂行中のロス君まで召集してましたもん。そのロス君の情報を受け取るのに、ご自身が場末?みたいなところまでご出御されてましたし。セレブ美男がユリみたいな美女とあんなところで(ただならぬ風情で)会話していたら、もはやスパイ活動じゃないですわ(笑)。
モスクワ市街戦を制したレオさんの方が、忍城攻めで苦戦した治部殿より短期的な戦術眼はあるんだろうけれど、そしてボリシェヴィキの勝利を見越したレオ様と家康にロックオンした治部殿はともに長期的な視野はあるんだろうけれど、中期的な戦術をしくじったところも同じ。治部殿は共通の目標・政策を提示できないため大名たちをまとめ切れず、レオ様は軍隊の厭戦モードを読み誤って臨時政府を切ろうとして足を取られる。あの段階で「忠実な部隊」なんて言っているあたりものすごーく読みが甘い。現実にロシア革命の尖兵になったのは、訳の分からない長い戦争をやらされてうらみ骨髄の下っ端兵士(=徴兵されてきた農民たち)だったのだから、この誤算は致命的です。
実際1917年のレオ様は、試行錯誤っぷりというかブレが酷いなぁと思う。皇室に忠義(あの意味わからないユリウス暗殺司令の後でなぜそこまでするかな、というのはさておき)はいいとして、選択肢としての立憲帝政もなしで、オールオアナッシングで帝政復活かソヴィエトか、というのはかなり無茶。文民統制は理解しても軍隊を抑える必要があるから軍の職にとどまっているのはいいとして、コルニーロフ反乱とか何それですよ。大戦続行するのかしないのかも不明。尤も、例のユリウス暗殺司令をオミットしたことが負い目になって、色々焦った結果だとしたら…ホントに不器用にもほどがある。そしてユリちゃんのファムファタル属性すごい。
山本耕史さん。NHK公式から拉致(もうHPは閉鎖済み)
『オル窓』でこのセリフが似合いそうなのは言うまでもなくレオ様。カオル様から届いたカッコいいレオ様を見ながら、うん、絶対に合うよね♪と喜んでおりました(^^)。
結構共通点はあると思うんですよね。一見冷たそうだけど実は熱い部分を持っているとか、誰よりもその欠陥を知りつつ(命がけで秀吉を諫めたり、秀吉の政策の危うさを語ったりしてましたから)方向転換が効かないまま前政権に殉じた点とか、コミュ障気味?で能力や才覚のわりにいまいち人望がないところとか(堀北真希のダンナには男は協力せんわ~というオチもあった。ちなみに親友は藤原紀香のダンナ、部下は菅野美穂のダンナw)。何よりある種の孤独の相につきまとわれているところとか。
レオ様人望あまりないですよね。コネを使ってトップを動かせても、腹心の部下とか同志には(ロス君以外)恵まれないと見た。ラスプ暗殺の際に、他の任務、それも機密性の高いのを絶賛遂行中のロス君まで召集してましたもん。そのロス君の情報を受け取るのに、ご自身が場末?みたいなところまでご出御されてましたし。セレブ美男がユリみたいな美女とあんなところで(ただならぬ風情で)会話していたら、もはやスパイ活動じゃないですわ(笑)。
モスクワ市街戦を制したレオさんの方が、忍城攻めで苦戦した治部殿より短期的な戦術眼はあるんだろうけれど、そしてボリシェヴィキの勝利を見越したレオ様と家康にロックオンした治部殿はともに長期的な視野はあるんだろうけれど、中期的な戦術をしくじったところも同じ。治部殿は共通の目標・政策を提示できないため大名たちをまとめ切れず、レオ様は軍隊の厭戦モードを読み誤って臨時政府を切ろうとして足を取られる。あの段階で「忠実な部隊」なんて言っているあたりものすごーく読みが甘い。現実にロシア革命の尖兵になったのは、訳の分からない長い戦争をやらされてうらみ骨髄の下っ端兵士(=徴兵されてきた農民たち)だったのだから、この誤算は致命的です。
実際1917年のレオ様は、試行錯誤っぷりというかブレが酷いなぁと思う。皇室に忠義(あの意味わからないユリウス暗殺司令の後でなぜそこまでするかな、というのはさておき)はいいとして、選択肢としての立憲帝政もなしで、オールオアナッシングで帝政復活かソヴィエトか、というのはかなり無茶。文民統制は理解しても軍隊を抑える必要があるから軍の職にとどまっているのはいいとして、コルニーロフ反乱とか何それですよ。大戦続行するのかしないのかも不明。尤も、例のユリウス暗殺司令をオミットしたことが負い目になって、色々焦った結果だとしたら…ホントに不器用にもほどがある。そしてユリちゃんのファムファタル属性すごい。
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管理人にとって『オルフェウスの窓』は、一言で言うと「大河漫画」なんですが、一言じゃなくて言おうとしたらまず「大河なんちゃら」の定義から始める必要があると思う(いや必要ない、ちょっと黙れというご意見もあるかもしれませんが、ここ私のイタだもんね)。2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』は、管理人にとっては久々に見る「大河」の醍醐味を備えたドラマだったんだけど、あれのことを「大河ドラマらしくない」と言っていた人々がいたことも確かで、つまり「大河なんちゃら」で思い描くものは、結構曖昧じゃないかと思うんですわ。
ブリタニカ国際大百科事典の「大河小説」の項には「ある人物,家族,あるいは一群の人物を中心に,一時代の社会を広くとらえようとした,きわめて長い小説。元来 R.ロランの『ジャン=クリストフ』 (10巻,1904~12) ,プルーストの『失われた時を求めて』 (7部,13~27) をはじめとする 20世紀前半の一群のフランス小説についていった言葉で,初め A.モーロアが用い,大河のような時の流れのうちに展開される小説という意味であった」とありました。おフランス起源とは。仏和辞典引いたらroman fleuveで載ってました。fleuveは「大河:巨大な流れ」ですから、まんまですやん。例に挙げた2作は、19世紀のフランス(というより西欧の特殊な時代と考えたらいいのか)を背景にしてありますが、特に歴史的な事実の言及はない…むしろ、そういうものを排した個人と周辺の人々、さらにその外にある社会という同心円的な構造を往還しながら一つの時代、というより社会を切り取ろうとしている感がある(どちらも1度ならず挫折したんですが私)。ある意味静的です。私が考える「大河なんちゃら」は、もう少し動的、というか、歴史的事件の連鎖の中でかつ消えかつ結ぶうたかたのように生きる人々を俯瞰的に眺め、社会のありようの変化を描いたもの、というところでしょうか。フランスの小説で言ったらデュ=ガールの「チボー家の人々」とかマルローの「人間の条件」とか。NHK大河視聴者の皆様もこの辺までならかなりの数が合意できるんじゃないでしょうか?
多分私の見方は、本来の「大河小説」読者より鈍感で理屈っぽいところがあって、「社会」というもののあり方を「変化」を通してしか知覚できていない。常に比較し続けることで相対的に「社会」を考えようとしているのかもしれません。もう一度「大河なんちゃら」の条件を整理すると「社会・人間群像を広く大きくとらえようとする視点」を持つ作品であり、そのために「長いスパンや社会変化が描かれ、その中で人物の個性が描かれる」、「人物は常に相対化され、社会の中でそれに相応しい大きさで描かれる」という特色を備えた作品、ということになります、私的に(だから、「歴史上の偉人を重厚に描く」だけでは「大河なんちゃら」とは認めません(--)。特定の個人をカッコよく万能感たっぷりに描かれると、社会の広がりや歴史の流れが見えにくくなる。結果「道徳の教科書ですか」みたいな嘘くさい印象になる)。
『オル窓』が「大河」だということは、おそらく原作者様も、『ベルサイユのばら』以上に意識しておられたのではないかと思います。だって、イザークを巡る物語は「池田流ジャン・クリストフ」と呼んでいい構造を持っていますから。それでも、私にとっては『オル窓』の「大河」性が一番強く感じられるのは第3部です。ロシア革命という大きな歴史的事件を描いているというだけではありません。↑の「人物の相対化」「相応しい大きさ」という点で、まさに社会ーーあるいはその表象としての「歴史」ーーと個人の相克、個人やもっと大きいものを押し流していく「大河」のような流れを感じるからです。アレクセイもレオニードも、オスカルに許された「名もなき英雄」のヒロイズムに酔うことさえ許されず退場していく。その非情さ――「神の視線」のような感覚がこの部分には流れていて、それが作品に風格と広がりを与えている。原作者様が「最後の少女漫画」と呼んだこの作品はその点で、少女漫画の枠組みを保持しつつ「歴史」の視点を備えたといえるのではないでしょうか。
『真田丸』は真田幸村(源次郎信繁=堺雅人さん)の死ではなく、それを知りつつ、それを悲しみつつも次の時代を生きてゆく兄信之(大泉洋さん)のアップで物語を終えました。そのスタンスに私はすごく「大河」を感じる。「大河」は主人公の一人や二人死んだって否応なく流れてゆく。時の流れをぶち切ることは、どんな偉人英雄にも許されない。その非情さと個人の小ささの共有は、(あまり評判のよくない)『オル窓』第4部、ダーヴィットとマリア・バルバラ、ダ―ヴィットとイザークの終幕にも共通するものだと思います。
ああ、長かった(^^;)。ここまで読んだ方おられますか~?
「ゲストが画像を投稿できる掲示板があれば」とのご希望が寄せられていたので、新しく設置いたしました。直行→http://blaetter.bbs.fc2.com/
今のところ、フェス特設ページにリンクを置いてあります。
管理人も、サイトデビューはカオル様運営のベルばらファンサイトTRASHY CLOSETさま(http://www4.kcn.ne.jp/~sery_k/)のオエケイだったので、このコンテンツには思い入れがあります(^^)。カオル様宅のオエケイは本当に楽しかったのですが、自分はオエカキど下手なので常設してもオエカキサイトらしい運営ができない気がして、訪問者様の希望に関わらず今まで設置しないままでした。
ここに至り、一向に盛り上がらないフェス(^^;)のテコ入れ策として、積年の懸案に着手した次第です。皆様ご贔屓にご活用いただけますよう、心よりお願い申し上げます。
文章がすぐ長くなる悪癖がある管理人は、こちらのブログを使用することが多いと思います。お知らせもこちらがメインになると思うので、どうかブログの方も見捨てずご訪問いただけますよう、重ねてお願い申し上げます。
「デビュー50周年記念展 池田理代子-ベルばらとともに-」(高島屋大阪店)に行ってまいりました!
「オル窓は冷や飯食い」(笑)とひがむことの多いオルファンですが、今回は(「ベルばら」に比べれば扱いが小さいとはいえ)ちゃんとオル窓コーナーも設けられ、↑なども設営されていました(^^)。なんでイザークやねん、ここはクラウスやろ、と思わんでもないですが、まぁそれはそれとして。数多いとは言えないオル窓カラーページ原画は網羅されていたんじゃないでしょうか。ハンガリー騎兵姿のアレクセイを見たときは嬉しかったです! 重厚な印象を受けていた絵ですが、実際に目にすると水彩らしい透明感が印象的でした。これは!と思ったのがモスクワ蜂起のアレク&レオのツーショット! オル窓男闘呼組の記念碑ですね♪ 展覧会でレオ様にお目にかかれるなんて、ええ、想定外、望外の喜びでございます!
ショップにも、オル窓グッズがそれなりに用意されていました。勿体なくて使えんがな、買ったけど(笑)。ベルばらが成功しすぎて(?)、宝塚歌劇との絡みが話題にされることが多かった(本人もそれを望んでいないわけではなかったのではないかとは思うのですが)池田氏の作品全体を見る視点というものが徐々に形成されてきているのではないか、そしてその中でオル窓という作品も再評価されるのではないか、と思えた展覧会でした。いやそれはショップ見て言うことちゃうやろ(笑)。
改めて見ると、ベルばらの描線の美しさ、滑らかさは圧倒的なのですが、オル窓ではその流麗さより陰影、画面全体の表情、のようなものが段々と表に出てきている印象があります。まるっと乱暴な言い方をすれば「線のベルばら」「タッチのオル窓」という感じでしょうか。だから、どうしても、画面から飛び出してくるような力、勢いのようなものならベルに軍配が上がる。画面の構成なども演劇的な、見えを切っているようなインパクトがありますね(坂本眞一氏の『イノサン』は、この演劇性の部分をパロ的に組み立てている感じがある)。オルはその点、勢いよく物語を推し進めていくというより、躊躇いや迷い、揺らぎのようなものの表現が深化している。リアルな心理表現に適した絵になっているといいますか。単純に白黒をつけない物語自体のありように適している、というより、この絵に引っ張られて物語世界が展開していったのか、いや単に印刷技術の進歩なのか――。
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