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いや、お祭りはやりますよ絶対やりますよこれやらへんとウチのサイト意味ないし(^^;)。単にとっても遅れただけで…6月いっぱいの開催を考えていましたが、場合によっては延長するかも。
お祭りページに置いた永田紅さんの短歌について。ご存知の方も多いでしょうか、1975年生まれ、永田和宏・河野裕子さんご夫妻がご両親、永田淳さんはお兄さんというサラブレッドな若手歌人です。掲載の歌は2010年出版の『ぼんやりしているうちに』所収。京都大学で学生時代を送られているので、背景の「川」は普通に考えるのなら鴨川かもしれませんが、ご本人がオル窓ファンなのも確かなので、やはりレーゲン川かドナウ川がどっかで重なってくるんですよね…。
2003年に読売新聞夕刊にエッセーを連載されていたことがあって、そこに「愛蔵版抱えてレーゲン聖地巡礼の旅」の話が出てきました。もしかしたら大阪版だけの記事かもしれません…。スクラップしてたんですが、小さな紙片だけになくしてしまって自分がいつかネタにしようとしていたメモだけ残っていたので、そこから引用いたします。タイトルは「お話のなかの場所」、以下はその最後の部分です。
「十代を過ぎ、お話のなかの主人公たちの年齢を越えて、繊細さや熱狂や、かつてのさまざまな感覚をとり戻すことはできなくなってゆく。けれど、思い入れのある場所が実在していてくれるのはなかなか嬉しい。自分の過去の時間も、そこに預けておけるような、不思議な安心感をもつことができる。」
これを書いたとき永田さんは28歳。まだまだお若いと思うのですが、3部のユリアレ、2部のイザークには至ってないじゃあありませんか、とかツッコんでしまうのですが…でも確かに10代のような読み方はもうできないのかな、と思います。一方で40代50代の読みができるのもオル窓の凄さ怖さ…今の永田さんのご感想も聞きたいところです。
それでは皆様、預けておいた過去の時間を、ちょっとだけ眺めてみましょうか…。
ちなみに管理人の場合、思い入れありすぎてまだレーゲンもペテルブルクも行っていない…レーゲン行くために大学で第1外国語ドイツ語とったんじゃなかったのか…10代の頃の熱狂は、やはりなかなか追いつけないものがあります(^^;)。

「一夜きみの髪もて砂の上を引摺りゆくわれはやぶれたる水仙として」河野愛子
この歌、多分どちらかが死んでいないと状況として成立しなくて、女性歌人の歌であるということを考えると多分死んでいるのは男の方、という設定なんだろうけど、女の方の「やぶれたる水仙」という状態も想像するとよく死体を引っ張って歩けるよな、というズタボロ状態ではないかとツッコンでしまう。いや、そこまでガチに考えなくても、心象風景的にとらえたらええやん、という考え方になるんだろうけれど、実際音読してみてくださいな、なんというか引きずる音が聞こえてきそうなリアリティありますから。
ふっるい映画で「情婦マノン」というのがあります。アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督、1949年のフランス映画ーーたって私だって見てないんです実は

http://www.ivc-tokyo.co.jp/index.html
「淀川長治監修世界クラシック映画撰集」にある。ネット時代便利だなぁ(でもちょっと知りたくなかった気も

私にとっては、掲出歌はこの「情婦マノン」の情景なんですね。元ネタはオペラにもなった「マノン・レスコー」、映画はWW2直後を舞台に置き換え、女がフランスを追われた理由を戦時中にドイツ兵と交渉を持ったからとしています。元小説のニューオーリンズ(フランスのアメリカ植民地)を北アフリカに置き換えている点、ポストコロニアリズム的な読みをしたくもなりますが(笑)。映画では死んでいるのは女、歌では男のようですがそれもいつの間にか渾然一体となって死者が死者を運んでいるような、幻想的な、夢魔の見せる夢のような恐ろしくも美しい情景になっていく。だからこそ水仙の清爽な印象が生きる。清爽であるとともに、どこかこの世のほかめいた一縷の厳しさのある美しさ。薔薇の甘い香りと違って、グリーンノートの強い水仙の香りにはどこか鋭さ、ぱっきりと切断するような男性的(?)な印象が漂います。
「水仙城といはばいふべき城ありて亡びにけりな さんたまりや」(葛原妙子)は島原の乱のイメージでしょうか? これもやはり水仙の香りに、凄惨な死の幻想を重ねた一首と言えるでしょう。
なんかもの凄まじい話になってしまいました。女性歌人のための賞に名前を残す河野愛子は1922年生まれ、1989年死去。まさに昭和を生きた人生だったでしょう。オル窓を読んでいても、時々「昭和の濃ゆさ」に圧倒されてしまうのですが(自分も昭和生まれですが)、この歌も平成には似合わないほどの濃い歌です。なんでかなぁと考えると、やっぱり戦争体験の有無になるのかなぁ。女性の人生に今ほどの選択肢がなくて恋愛にかける熱量に余裕があったから、という考え方もあるけれど、恋ざかりのころに死を身近に感じていた経験ってやはり簡単に想像できない重みがある気がする。結論を言っちゃえば、あまり迫力の恋歌がない時代の方が、多分女性は幸せだと(笑)。
今年もよろしくお願い申し上げます。
…ってこんな時分にかいっ!という話なんですが、まぁ、関西では1月15日までは松の内ですから!
2018年戌年、年末から風邪ひいてインフル起こしかけるわ、職場では交代で風邪やインフルの患者が出るわ、というてんやわんやな年末でした。色々先送りしといたツケが、どっぷり来ています(^^;)。。
さて戌年。
管理人はばりばり犬派なので、年末から干支グッズを見るのが楽しくて仕方がありませんでした。立ち耳、たれ耳、巻き尾、差し尾、垂れ尾、鼻(マズル)の長いの短いの、足の長いの短いの、人間との長い生活の痕跡がそういった特徴に表れているのは、見ようによっては残酷かもしれませんが、とりあえずあったかいような甘いような少し悲しいような気持ちが胸いっぱいになります。管理人の辞書にはない「胸キュン」なる語、一番近いのはこの感覚なんだろうか? 清少納言が、小さな子供について「車などとどめて、抱きいれて見まほしくこそあれ」(56段)と言った気持ち、犬についてこそ感じています。世間がネコノミクスだろうが、わんこ万歳!!
で、元気が出る画像(管理人的に)♪ わんこが空を飛ぶ~♪(古い…TOKIOでグループじゃないほう連想できるのって50代以上じゃないだろうか…)
「オル窓」について言えば、今年はユリウス&イザーク生誕130年なんですね。4~6月の日程で拡大版お祭りができたらな、と考えています。あくまで考えているだけですが! 皆様の反応待ちですから! 忌憚のないご意見ご提案を頂けたら幸いです

あらしの夜、皆様いかがお過ごしでしょうか?
関西圏放送の毎日放送の選挙特番が、各政党の擬人化&アニメ化をやっておりまして。
何でもキャラ化するのが流行りだとは、うん、知っていた。個人的には「軍勢を一つの塊と思うな(by真田昌幸パパ上@『真田丸』)」という考えの方が好きなので、まるっと一体化自体に抵抗があるんだけど、ここまでやってくれると脱力しすぎて笑うしかない。
ホントはこんな画像上げるのは著作権法的にヤバそう…量刑的に共謀罪も想定内だよな、とも思うんですがだがしかし!
なぜにヴァイオリン!! どうしてそこでヴァイオリン!! インテリっぽいのはお約束済みとして、どこから出てきたヴァイオリン!! よく見たら亜麻色の髪の毛だし。目の色違うけど。何より全体に漂うクールムードが全然違うけど。でも共産党+ヴァイオリンと言えば…我らが同志アレクセイ!!! キャラデザインに同志が?いや年齢的にちゃうやろ、とかしばし違う世界に遊んでしまいましたとさ。
アホくさ、と言いたくなる選挙だったので、これくらいのお笑いがあったって。
後カピバラ抱えた癒し系?立憲民主党も可愛い。興味のある方はMBS, 選挙特番で検索を。
以下は、管理人のSSに寛大な方のみ、ドラッグ反転でお読みください。
「さよならは云わないで」4~6章UPしました。かなり早い時期から練っていた話だけに思い入れはあるのですが、年を重ねるにつれ書きにくくなってきた話でもあります。なんでかといえば、マリア姉様の気持ちが、年が近くなるほどに分からなくなってきた(^^;)から。50近くなって、人生の完成形が見えてきた女性が、今更結婚や男性が人生に介入してくることを望むものだろうか? 自分だったらと思うと、「あ、ええわ、めんどくさい」となる(笑)。オフィシャルな場での夫の立ち位置とか、老いた自分が夫に介助される姿想像したりとか、色々大変そう。それをモノとしない姉様、意外と「女」に自信があるタイプ?なんて考えだすともう無理(笑)。結構コンスタントにモテてたのか、とか思うと、あー美人のキモチ分からん!ってなってしまうんですよね。今のところ、待って待ってやっと戻ってきた家族=ユリウスを喪った孤独が、見かけより響いていた、と解釈しています(^^;)。
あと、「管理人作品特別ページを作るなら、各イヴェントでの管理人作品もそちらにまとめるべきだ」という指摘を受けたので、おいおいそちらの作業も進めていきます。とりあえず、「人魚姫」移しました。宜しくお願いいたします。